負い切れる責任を・・・。
前々回 『まずは可能な限り正確な情報を! 』
前回 『私は『ミリオン』の事を忘れない。』
事件の全貌も見え、ミリオンの元にも出向いた今、ある程度の結論は書いて置こうかと思います。
【警官が13発発砲】紀州犬射殺の謎
http://www.tokyo-sports.co.jp/nonsec/social/446944/
東スポWeb 2015年09月16日06時30分
現行法でペットは『所有物』でモノとして扱う。
響きだけ聞くと冷たく聞えるが、それは『救い』だと思う。
全ての責任は『飼い主』にあると断言できるから。
ただ『ミリオン』はきっと『飼い主』と認めては居なかったのだろう。
この飼い主にこの悲劇を招いた責任を負い切れるだろうか?
私はそうは思えない。
市政を、政治家を志す者として断言する。
この事件は『飼い主』の責任で終えるとしても。
負い切れない責任を安請け合い出来る状態を続ける限り、第二第三の悲劇は必ず起こる。
飼い主の体力なども考慮し、基準とする資格・免許制度が必要だと私は思う。
当然、規制による不利益もあるだろう。
だが、そこで話し合いが必要なのだ。
少なくとも野放しで良いわけがない。
それはもはや『ミリオン』の死から何も学び取っていないのと同じだと私は断言する。
そして、規制もまた『救い』なのだ、公然と提示された厳格なルールがあれば諦められる事は多い。
私は絶望を求めて悲劇に対峙しているのではない。
悲劇の中に埋もれている希望の芽を探して、救いへと育てるあげるためにに挑みつづけるのだ。
私はミリオン・・・ミリ、ミリちゃんと呼ぶ人も多い・・・一つの命を忘れない。
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